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1999年  4月号 Jazz Life誌 New York Report

New York Jazz Witness

ミシェル・ペトルチアーニの死を悼む
トリビュート・ライヴ

 昨年11月になくなった、ケニー・カークランド(p)に続き、今年1月6日にはミシェル・ペトルチアーニが鬼籍にはいった。両人とも、これからのさらなる活躍が期待された優れたピアニストであっただけに、その若すぎる死が惜しまれる。NYでも、2人のためにそれぞれトリビュート・ライヴが行われた。今回はイースト・ヴィレッジのイジィー・バーでのペトルチアーニのトリビュート・ライヴと、彼のNY時代についてリポートしたい。

 筆者が、ペトルチアーニのライヴ・パフォーマンスに最後にふれたのは昨年7月のバードランドに於いてであった。アンソニー・ジャクソン(el-b)、スティーヴ・ガッド(ds)のリズム・セクションに、デイヴ・ダグラス(tp)らの3管のホーン・セクションをフロントに擁した、アレンジをも重視したグループで、このバンドでのレコーディングが期待されただけに、突然の訃報にとまどいを禁じえなかった。
 80年代の後半から90年代初頭にかけて、ブルーノート・レコードと契約していたペトルチアーニは、NYに住みいくつかの意欲作を発表し、また精力的に様々なギグをこなしていた。自己のレギュラー・グループ以外でも、ジョー・ロバーノ(ts)、故エド・ブラッックウェル(ds)らとのギグも印象深い。
 NYにきてから、それまでの彼のキャリアとは異なったアプローチで音楽に取り組む意欲をもったペトルチアーニは、ギル・ゴールドスタイン(kb)が89年に録音したリーダー作『夢の街(City of Dreams)』(現在廃盤)に聴かれるアコースティック・ピアノとエレクトリック・サウンドの絶妙なブレンドに興味を持った。シンセサイザーに疎かったペトルチアーニは、当時マイルス・デイヴィス(tp)のグループで活躍していたアダム・ホルツマン(kb)とギル・ゴールドスタイン(kb)にアドヴァイスを求め、完成させたのが『ミュージック』(TOCJ-6311東芝EMI)、『プレイグラウンド』 (TOCJ-6312東芝EMI)、『ライヴ!』(TOCJ-6314東芝EMI)の3作である。これらのアルバムは、今でもCool Jazz系のFM局でよくオン・エアされ、たてのりのビートの上で、心地よくメロディアスなアコースティック・ピアノがフィチャーされ聴きやすい作品だが、決してイージー・リスニング・フュージョンではなく、リズム、ハーモニーに凝った構成が施されており、スティーヴ・ガッド(ds)、アンソニー・ジャクソン(el-b)とのトリオにおける、ここ数年のペトルチアーニの、アドリブとアレンジを同等に重視するスタイルの源流を聴くことが出来る。

 この日のトリビュート・ライヴは、89年から91年の間の2年間を共に行動し、年間150本のコンサート・ツアー・サーキットをこなしてきたアダム・ホルツマン(kb)と、ヴィクター・ジョーンズ(ds)らによってひらかれ、客席にもスティーヴ・スレッギル(as)らのミュージシャンが見受けられた。当時の彼らとペトルチアーニのコラボレーションは、フランスでのコンサートを記録したアルバム『ライヴ!』となって結実しており、筆者もこのバンドのNYでのギグを聴いたが、タイトなリズムと凝ったアレンジの上で、ペトルチアーニが奔放なソロをとり、ホルツマンがシンセでサウンドに美しいカラーリングを施す、という完成度の高いグループ・アンサンブルを誇っていた。
 レコーディング・ツアーに参加していたアンディー・マッキー(el-b, ac-b)、アドブゥ・ムブゥプ(perc)が演奏し、さながらペトルチアーニのいないペトルチアーニ・グループのリユニオンであったこの日のバンドは、彼のオリジナル・チューンの「ルッキング・アップ」からパフォーマンスをスタートし、曲を知る観客から歓声があがった。ミディアム・テンポのリズムの上の、シンプルで美しいピアノのメロディ・ラインが印象的なこの曲では、ホルツマンがペトルチアーニに代わってテーマ・リフを演奏し、テーマを発展、展開させてソロを盛り上げ、3人がサポートにまわる。ヴィクター・ジョーンズ(ds)が、“小さなペトルチアーニが、いつも周りの人を見上げていたことがタイトルの由来”と、MCで紹介した。
 続いては、ピアノ(シンセで音色を作っている)の長いイントロから、タイトなリズムが入り、マイルスの「ジャン・ピエール」のリフのキメのあと、ブレイクして激しいアドリブの応酬へと到る「マイルス・デイヴィス・リックス」が演奏された。ジョーンズ、マッキー、ムブゥプのコンビネーションが、大きなグルーヴのうねりを生み出す。ペトルチアーニ・グループのメイン・レパートリーが次々と再現され、リーダーの不在を感じさせない熱演がくりひろげられた。

 この早熟の天才が、20代の終わりに創作したこれらのオリジナル・チューンは、躍動感に溢れ今でも新鮮さを失わず、当時のペトルチアーニのミュージック・ライフの充実ぶりをうかがわせる。その円熟の境地を聴くことが出来なくなったことが惜しまれる。慎んで、冥福を祈りたい。(2/11/199 於IZZY BAR)

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