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Wayne Shorter - 至高の音楽体験

 先日の、JVCジャズ・フェスティバルで、2年ぶりにウェイン・ショーターを聴きました。前回は、ハービー・ハンコックとのデュオ演奏でしたが、今回は本当に久しぶりの、アコースティック・クァルテットのライヴで、期待は高まったのですが、想像を絶する凄さで、今年のべスト・パフォーマンスは、これで決定といったところです。ダニーロ・ペレス(p)、ジョン・パティトゥッチ(b)、ブライアン・ブレイド(ds)からなる、グループは、フリー・ジャズというか、ショーター・ミュージックとしか言い様のない、オープンな音空間を現出させました。"High Life"、"Aung San Suu Kyi"と言った最近作から、"Diana"、"De Pois Do Amor, O Vazio"といったブラジリアン・ナンバー、アンコールでは"JuJu"という選曲でしたが、はっきりいって曲は、イマジネーションのきっかけで、そこを起点として無限のサウンド・フレグメンツがちりばめられてゆき、曲によって異なった世界が構築されていました。ブライアン・ブレイドと、パティトゥッチは、そのスケールをさらに拡げるようにサポートし、唯一ペレスが、羅針盤のようにスケールをきざみ、その所在を明確にする、というアンサンブルです。それはまるで、ヨーロッパの絵画からの脱却を宣言し、アメリカの現代美術を築いた、ジャクソン・ポロックの抽象画のように、ブラシからしたたりおちる絵の具が、幾重にも重なって壮大なイメージを描き出すのと、酷似しています。しかし、ポロックは40年代末期から、50年代前半の神に魅入られたような数年で燃え尽きてしまいました。ケン・バーンズの"Jazz"の中で、ハービー・ハンコックは、ショーターも在籍した、マイルスの60年代後期のクインテットの演奏を、「目を開き、耳を開き、ハートをオープンにして、身体中で、その場で起きている音に反応する。そうしないとあっという間に取り残されてしまうんだ。」と語っています。ショーターが、この時代から今まで、そのテンションを保ち続けているのは、驚異としか言いようがありません。今回のコンサートに匹敵する衝撃を受けたのは、83年に増上寺の地下で聴いた、スティーブ・レイシー(ss)と富樫雅彦(per)のデュオ、92年に聴いたカエターノ・ヴェロッソ(vo,g)と、ジルベルト・ジル(vo,g)のデュオ以来です。ウェイン・ショーターの演奏は、アメリカに来てからNYエリアであるたびに、必ず聴いてきました。その中でも、一番印象に残ったのは、91年の"Native Dancer Revisited"の時でしょう。前半は、ミルトン・ナシメント(vo,g)のグループで、後半からショーターが参加したのですが、サックス・プレイヤーが入っただけで、バンドのサウンドが、がらりと変わり、とてつもない緊張感とリラックスが共存する、不思議なサウンドが醸し出されました。リズム・プレイヤーが加わることによって、サウンドが変わることは何度も聴いていますが、常にアンサンブルに参加していないプレイヤーが入っただけで、ドラスティックにサウンドが変貌するのは、ショーター・マジックとしか言いようがありませんでした。98年に、リンカーン・センターで行われたショーターのキャリアを振り返る、エレクトリックと、アコースティック両方のバンドで演奏する、回顧展のようなコンサートもなかなかよかったのですが、インパクトは、今回が大きく上回っています。

 私は、97年に一度、ウェイン・ショーターのインタビューの撮影をする機会を持ちました。この時初めて、直接話をしたのですが、かなりの衝撃を受けました。ライターのKさん、アシスタントのSくんと、ホテルに伺ったのですが、少し早めに着いたのです。敬虔な仏教徒である、ショーターの勤行の時間に重なってしまい、我々は、その間、同じ部屋で待っていたのですが、その勤行たるや、今まで聴いたこともないものでした。お経が、グルーヴしているのです。その後の、インタビューで彼がフレーズを口ずさむと、舌のまわり方が普通の人では出来ないぐらい微妙に動かせることに驚かされました。これと、独特のリズム・センスがグルーヴするお経となっているのでしょう。この時は、謎の黒い鞄という、オカルトめいた話しもしてくれました。メッセンジャーズ時代に、ジョエルという女性のマネージャーから、渡された黒い鞄には、スケールの練習曲がぎっしり書かれたヴァイオリンの教則本と、フランス人サックス奏者マルセル・ミュールの78回転のレコードや譜面が入っていて、彼女は、これを行きずりの浮浪者から託されたそうです。その鞄の持ち主こそ、死期が近かったチャーリー・パーカーだったという、ほんまかいなというお話です。めったにインタビューの時に、サインをねだったりしない私も、ウェイン・ショーターには、思わずおねだりしてしまいました。ショーターのほかには、ソニー・ロリンズと、ルディ・ヴァン・ゲルダーぐらいにしかおねだりしたことはないのですが、学生時代に彼の演奏をコピーしていたこともあり、コルトレーンと並んで、長年私のアイドルでしたので、この衝動は、止められませんでした。もっとも彼のアドリブをコピーしても、本人が演奏しないと、まったく意味のないものでしたが............... 

 この日、もっとも納得させられたのは、"Jazz is the thing." というフレーズでした。「"Thing"という単語を、辞書でひいても明確な意味は何もない。Jazzもそういうものだ。」と、ショーターは、語ります。これが、彼の謎の演奏のキー・ワードです。50年代後半に、よくコルトレーンと一緒に練習していて、ある日、コルトレーンが、こういうアイデアを思いついたのだがと、"Giant Steps"のコードを、ピアノで弾き、それに合わせてスケールを吹きまくるのを間近で見せられ、衝撃を受けて以来、真っ先にコルトレーンの影響を受けながら、メッセンジャーズ時代にそこからの脱却を模索し、マイルス・クインテットで、ついに到達した悟りの境地なのでしょう。そのあまりに個性的なスタイルは、ついに追従者をつくることを許しませんでした。ウェイン・ショーターにとって、ジャズとは、想像力の赴くままに演奏をするという、コンセプトであって、聴き手が、エレクトリックか、アコースティック、ストレート・アヘッドか、ブラジリアン、ポップスかなどという視点で論じるのは、まったくナンセンスなのです。ショーターが演奏の瞬間に、何かを感じてサウンドにしたものが、聴き手の脳を直撃し、それぞれの想像力を喚起する。それは、あるときはテンションを究極まで上げ、またあるときは、心がまったく静寂するというリラックスを、もたらします。これが、ショーターが考えるJazzであり、これはポロックがヨーロッパのアヴァンギャルド絵画を踏まえながら、そこから跳躍したように、ショーターも、西洋音楽と、ブルースに根ざした従来のジャズから、大きく跳躍しているのです。形而上で鳴り響く音楽、ということができるかもしれません。

 今年は、このクァルテットでツアーを廻るようです。次に制作されるアルバムが、どのような内容になるか、楽しみです。