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Autum in New York 〜 藤原 紀香ヴァージョン

 NYがもっとも美しいシーズンは、スタンダード・ソングにもなっている、秋でしょう。雪や乾燥した空気に悩まされる冬や、気温の高低が激しく雨も多い春先、そして日本よりはマシですが、ムンムンに暑くなる夏を過ぎると、気温も空気もしっとりと落ち着いた秋が訪れます。9月の終わりから、11月の第一週ぐらいがベスト・シーズンです。2年前(200年)のこのシーズン、日本から素敵なお客様を迎えました。今回は、私の仕事の中では、異色の部類にはいってしまう仕事のエピソードを紹介します。

 私が、一番最初に出版物に写真が掲載されて、ギャラをいただいたのは1986年の春先で、週刊朝日の大学受験増刊号の、東京六大学のキャンパス美人女子大生を、学生腕自慢が撮影するというグラビアでした。もともと、ポートレート撮影が専門だったので、女性写真を撮ることも結構あったのですが、いつしか楽器をもったオッサンの撮影の機会ばかりが増え、現在に至ります。J ポップ関係の撮影をしていたときには、忘れた頃にオネエチャンの撮影もあったのですが、ここ数年は、たまに女性といっても、渋めのシンガーの方だったりとすることが多く、たまにお花の現場で会う女性のデザイナーや、お店経営者が、撮影のオアシスだったりします。そんな中で、たまに仕事をしている週刊誌から、当時、人気絶頂、日本に行くと街中のポスターは、彼女と松嶋菜々子しか日本には、女性はいないのかと思わせられるほどの人気を誇っていた、藤原紀香さんの密着取材の仕事が舞い込みました。2001年の1月に放送される、衛星放送の番組の収録に、一日だけ日本からのスポーツ新聞関係の同行取材を、入れる日を設定するとのことで、そこに事務所差し回しの有名ファッション・フォトグラファーと、新聞と違う写真を欲しがった週刊誌派遣の私が、テレビの取材に同行し、ところどころの空き時間で、撮影をさせてもらうという取材を敢行したのです。

 タレントさんの撮影というと、10年ほど前に、某有名落語家の娘タレントの取材で、不愉快な思いをしたことがあったので、恐れていたのですが、さすがモデルからたたき上げの紀香嬢は、スタッフへの気配りもしっかりしていて、きわめて快適に、撮影は進行しました。日本からの同行取材の皆様は、日頃のご愛顧にお答えして、事務所からのアゴアシ付きの、接待旅行。この日の、エセックス・ハウス・ホテルでの共同インタビューが、メインの仕事のようでした。紀香嬢は収録で、有名なデザイナーや、トップ・モデルに会い、刺激を受けたかという話をしてくれたのですが、スポーツ芸能欄の皆様は、どうもデザイナーの名前等はご存じないようで、インタビューの輪の後ろでは、「あれは、なんかのブランドの名前?」などと、ささやきあっています。こちらからの質問というと、「今年の紅白の司会者の候補に挙がっているけどどう?」と、何で、NYでその質問ですか?というのが、まず飛び出し、挙げ句の果てには、「紀香ちゃんとか、NYの街を歩いていると、ナイス・バディとか言われない?」ときたもんだ。これには、さすがの紀香嬢も苦笑いしていました。新聞の芸能記者の皆さんも、いろいろと大変なんでしょうが、いくら記事に使わない可能性が高いといっても、もう少しタレントさんのお話についていけるぐらいの予習をして欲しいものですな。収録で、どんな人に会っているかなんかは、事前に分かることですし、まあ休める仕事の時に休んでおかないと、体がもたないのも分かりますが........まともに、デザイナーの話しにつっこみを入れていたのは、私が同行した相方のライターだけという、かなり笑える状況になっていました。そして、最初のロケ地、セントラル・パークまで、なぜか私が、タクシーに何人か相乗りさせて、現場まで連れて行くことになってしまいました。金魚の糞のごとく、ぞろぞろとついていき、TVカメラのセッティングの間にちょこちょこと撮らしてもらうのですが、さすがモデル歴が長いだけあって、カットを多く撮らなくても、すぐに決まります。記者の皆さんのとんちんかんな、質問にも愛想よく答え、快く一緒に写真に写る姿は、なかなか好感が持てたのでした。このあとは、マディソン・アヴェニューの高級エステ&メイキャップ・スタジオという予定でしたが、記者さんご一行は、別行動でショッピングということになり、うじゃうじゃいたマスコミ関係は、私と、相方ライターと、専属フォトグラファーの方だけとなり、進行が楽になりました。

 TV収録は、待ち時間が結構あるので撮影のタイミングは結構あるのですが、ライトを組む余裕はさすがにないので、夜の撮影はストロボを直接あてるので、ちょっと不本意です。途中、収録チームは、対岸のニュージャージーに渡り、ヘリコプターでNYを見下ろしながら、シャンパンで乾杯しつつマンハッタンに入る、というシーンの撮影があり、私たちはマンハッタン側のヘリポートで待つことになり、外で待っていたら凍死しそうなぐらい寒かったので、待合室にはいると、その後、業界からしばらく姿を消すことになる鈴木あみちゃんがいたりして、楽しめました。あみちゃんはどうなってしまうんでしょうね。ヘリで颯爽と現れた紀香嬢は、渋滞に巻き込まれたリムジンが、まだ現れないので、控え室でライターさんと雑談していました。先頃公開された、香港映画の出演時のエピソードと、香港映画に詳しいライターさんと2人でアクション・スター談義で盛り上がっていました。根性で何とかするのを身上とした、体育会系のさばさばした姉御ノリは、さらに好感度アップ。夜にはメイン・イベントの、アメリカのファッション業界のアカデミー賞とも言える、ファッション・アワードの受賞パーティをリポートするための出席となりました。もちろん私は入れず、また入ったところで、現像、電送処理が間に合わなくなるので、パーティに参加する直前に写真を撮らせてもらって、撤収という段取りです。総額で、ミリオン(一億3千万円)を越える、宝石を借りてきての出席なので、宝石会社から、ごっついセキュリティのオッサンが差し回されているものものしさです。とにもかくにも、あわただしい中、撮影にご協力いただき、私も、その夜は徹夜で写真を電送し、翌日、日本に帰るというスケジュールで、なかなか印象に残る撮影でした。最近は、日韓文化使節をやってみたりと、いろいろと生き残りをかけて、やっていらっしゃるようですが、夢のボンド・ガールが実現するのを、陰ながら応援しています。