2002年9月11日、あれから一年

 早いもので、あの悪夢の米国中枢部同時多発テロから、一年が過ぎ去りました。ワールド・トレード・センターの、ノース・タワーの崩落の瞬間を、ハドソン河畔から見てしまった、あの時から、アメリカのアフガン攻撃開始、クィーンズの航空機事故と、昨年の後半3ヶ月は、私の人生の中でも、特殊な時間として定着しました。そのころは、ラッシュ・アワーには、仕事でない限りなるべく人が多く集まるところには、行かないようにするなど、それまで当たり前だった、安全ということが、実はこんなにあやふやなバランスの上に成り立っていたということを痛感させられました。だからといって、他国に爆弾の雨を降らしてまで、ウサマとその一味を殲滅せよということには、到底同意は出来ませんが、結局、ラッシュ・アワーには、地下鉄を避け、なるべくバスに乗るようにするなど、本当に他愛のないことから、我が身を守るようにするしか出来ませんでした。クリスマス・シーズンを迎える頃から、NYはこんな卑劣なテロ攻撃には、屈していないということを誇示するためか、例年以上に派手に祝福しましたが、戦争と、不景気のために、不自然なカラ元気という感は、否めませんでした。2002年になると、アフガンの情勢も終わりが見えてきたためか、ほぼ平常に戻りました。しかし、ウサマ・ビン・ラディンとその側近の行方は、今だ分かりません。第二次大戦のベルリン陥落時、ヒットラーは、その愛人エヴァ・ブラウンと自殺し、その遺体を連合軍のさらし者になるのを防ぐため、ガソリンで骨も残さず焼却することを指示したそうですが、もしも死んでいるとしたら、そのような処置が執られているのでしょうか?いずれにしろ、何ら確証はなく、タリバン政権が崩壊し、アルカイダも重要な拠点を失いましたが、まだ予断を許さない状況は続いているのです。しかし、NYの通常の生活は、何事もなかったかのごとく、元に戻りました。南の空を見上げると、フォトショップで塗り消したように、きれいになくなった2つの高層ビルディングを除いて.........

 9月11日を前にして、また小学館さんから、あれから一年という企画をやりたいとのご依頼を受けました。その撮影のため、8月の下旬、久しぶりにグラウンド・ゼロに行くことになったのです。もちろん、9/11当日の撮影は、通信社や報道専門のフォトグラファーでないと、プレス許可も下りないので、私はその前後、当日の町中の様子を撮影することになりました。昨年の12月、インターネット・マガジンの撮影で訪れて以来の、グラウンド・ゼロは、瓦礫の撤去もあらかた片づき巨大な穴の空いた、工事現場のようになっています。一時は、展望台が設置され、そこにはいるための整理券制がとられていたのですが、それも終了し、以前のように数時間も待たなくても、現場に近づけるようになっていました。ここを訪れる人々は、ヨーロッパや、諸外国からの観光客や、アメリカの地方からの観光客ですが、やはりアメリカ人のリアクションは、一目瞭然に分かるような気がします。物見遊山的な、ヨーロッパ人や日本人に比べて、アメリカ人には大きな動揺を隠せない反応が見られのです。ここはアメリカ人にとって、初めて本土を攻撃され、それも彼らにとって絶対的に揺るぎのなかった、アメリカ資本主義の象徴が、あっという間に崩れ落ちてしまった現場であり、アメリカ人であることのアイデンティティを揺るがす場所となってしまったのでしょう。今さら、私が指摘するまでもないですが、大半のアメリカ人は、自分達が世界で一番金持ちで、一番暮らしやすいところに住んでいると、信じて疑っておりません。だから、世界中からいろんな人たちが集まってくる。という論拠にもなっております。

 私が何でアメリカにいるかというのも、音楽や、文化を巡る状況が、東京にいるよりも面白いというのが理由のひとつですし(もっとも、映画に関しては、NYでも、ヨーロッパや他国の、要するに字幕を必要とする映画を見る機会は、限定されており、地方都市に行ったら、大学や美術館でのアカデミックなフィルム・スクリーニング以外では、ハリウッド大作しかみられないでしょう。映画鑑賞は、東京の方がずっと恵まれています。)、日本で平日の真っ昼間ぶらぶらしていると、挙動不審人物として世間から見られてしまうという、うっとうしさもなく、英語の言語の壁があるのが逆に、必要のない情報の氾濫から、距離をとることが可能と言うことがあります。だからといって、アメリカが地上の楽園(北朝鮮か?)とは、間違っても思いませんし、結局どこに住んだって、一長一短があり、その時々の自分のキャリア、やりたいことに、周辺の状況に合わせて、住むところを選ぶことがベストというのが、私の持論です。9.11以降アメリカの絶対の安全性が、揺らいだのは事実ですが、私自身は、まだNYを離れたいとは思いませんでした。これが、今後のアメリカに、政治的のみならず、文化的にもどのような影響が出るかを見届けたいという意識の方が強いです。

 地方に住む大半のアメリカ人にとっては、アメリカだけが世界のすべてであり、他国との関わりを、大きく認識する必要に迫られることが少ないのは事実でしょう。共産主義との対立という2極世界観が崩壊してから10年近く立つ現在、アメリカが、第3世界や、他国の人々からうらやましがられたり、ねたまれたりすることはあっても、この様なテロルが起きるほどの悪意が、アメリカに向けられることを理解するのは、かなり難しいのでしょう。恐ろしいことに、ブッシュですらどうやらそのような世界観を持っているのでは、と思わせられることが、2年前の選挙の時からありました。テレビでの公開討論でも、アラブ情勢などを問われると、トランプの7並べをやっている訳じゃないのに、「パス。」を連発していました。私も、その時初めて知ったのですが、アメリカの政治家のキャンペーン討論では、不得意分野や勉強してないところをつっこまれると、余計なことをしゃべって失態をさらすよりも、「パス」することがありのようです。ブッシュを選んだアメリカ人は、彼が大統領になれば、税金の還付金が$200ほど増えるといったレベルで、投票した人が少なくありません。悪の枢軸国家だ、ならず者国家だという発言は、ブッシュの貧困な世界観から来ているのでしょう。所詮は、石油利権のからんだテキサスの地方政治家が、彼の器の限界と思われます。今から100年後の歴史家が、21世紀初頭を振り返ったときに、世界の破滅は、フロリダでパンチ穴が読めなかったことから始まった、と記述することがないことを願うばかりです。

 2002年の9/11を前の晩、ベットの中で外からかすかに聞こえてくる、アラーム音を聞きました。ワールド・トレード・センターのノース・タワーが崩壊した時に撮影された、医師のヴィデオの中で鳴り響いていた、死んで行く消防士達の服につけられたアラームと同じ音です。この音は、町中でもたまに聞こえてくるくらいの普通のアラーム音なのですが、昨年以来、この音が聞こえると血が凍り付くような、不快感が身体を駆け抜けます。これが、私が負ったトラウマですが、当日現場にいた被害者、関係者、そして子供らが、抱えてしまった問題は、あまり深刻すぎて、私の体験とは比べようがありません。9/11に向けては、テレビでも特番が組まれ、雑誌でも特集号が発売されましたが、私自身もうあのビルに飛行機が突入する瞬間の映像を見たくもなく、ニューズウィーク誌の記事に目を通したぐらいにとどめました。9/11当日、空はあの日のようなクリスタル・ブルーに晴れ渡りました。テレビでは、どのチャンネルも朝からグラウンド・ゼロのセレモニーを中継しています。ブルームバーグNY市長や、クオモNY州知事が、独立宣言や、私も高校生の頃、暗誦させられたリンカーンのゲティスバーグ・スピーチを引用しました。このテロル事件を、民主主義への挑戦と言う論点のすり替えが、あるような気がして不快感を覚えます。しかし、3000人近くの人の命が奪われた事実には、哀悼をささげ、犠牲者の家族の皆様の心情は、察してあまりあるものがあります。

 午後から、テロ厳戒態勢にあるマンハッタンに、出かけてみました。強風の中、半旗に掲げられた星条旗が到るところに、翻っています。この日を愛国記念日として休日にするという案も、あったようですが(これもプロパガンダ利用の論点のすり替えのような気がします)、平常通りの方が、犠牲者の追悼になるという意見が優勢で、表面上はいつも通りの一日でありながら、どこか物寂しい雰囲気がありました。イラク情勢もきな臭くなってきたことも、この閉塞感を醸し出している大きな要素と思われます。街中には、グラウンド・ゼロの現場で大活躍した、救助犬を讃え、その育成基金を募るユーモラスなスクラプチャーが展示され始めました。展示が終了した11月にオークションがあり、その収益金が寄付されるそうです。日本からも、小泉首相が訪NYしていたようですが、こちらのメディアではあまり取りあげられていませんでした。パフォーマンス先行型の小泉氏が、ブッシュにすり寄った、安易な発言をするかと恐れていたのですが、杞憂に終わり一安心です。くれぐれもアメリカと一蓮托生のイギリスのブレア首相のような、スタンスだけはとらないで欲しいと希望します。

 景気が極端に悪くなると、戦争を起こして起爆剤とし、その上昇をはかるのは、共和党政権の常套手段ですが、アフガン攻撃は、ウサマ・ビン・ラディンを取り逃がしたことと共に、エンロン、ワールド・コムの証券スキャンダルをへて、アメリカの不景気感はさらに深刻なものになってきたといえるでしょう。アメリカの良識ある人たちは、政権内にいるパウエル国務長官ら、穏健派に期待しているようですが、現在のパワー・バランスでは、チェイニー副大統領や、ラムズフェルド国防長官らに代表される武闘派が優勢のようです。軍人出身のパウエル氏は、若き日にベトナムで最前線を経験し、アメリカの海外派兵の無意味さを身を持って体験しているので、良識のある行動で国民の信頼を集めていますが、11月の中間選挙の結果次第で、彼が政権内から排除されるようなことが起きると、ブッシュ政権は、国際世論を無視した暴走を始める恐れがあります。ここまでいろいろ書いてきて、こんなことを言うのも何ですが、私は昔、日本史を専攻していたこともあり、政治的事件はある程度、時間が過ぎて、諸々の情報、状況を分析し俯瞰的な視点で見なければ、その本質は見えてこないと考えており、政治的なコメントをすることを避けてきていました。しかし、事態はそのような悠長なことを言うのを許す状況ではなく、2001.9.11以来、起きることのひとつひとつが、現在の私の生活、そして日本に暮らす家族や友人の生活にも、直接大きな影響を及ぼすことに、なってしまいました。今までは、書物の上の経験しかなかった、歴史のターニング・ポイントに生きているということの現実が、重くのしかかってきています。20世紀の終わり頃によく近未来SF小説に見られた、共産主義対資本主義の対決による世界最終戦争という構図が、まるで十字軍の昔に、石油利権を足したかのような、西洋社会対イスラム世界といった対立軸にとってかわって、起きないことを祈ります。(9/27/2002記す)