2001年 7月号 Jazz Life誌 New York Report
New
York Jazz Witness
ニッティング・ファクトリーを会場とした
名匠ビリー・ヒギンズ(ds)追悼コンサート
去る5月2日、ドラマーのビリー・ヒギンズが、64歳で亡くなった。50年代から、アヴァンギャルドとストレート・アヘッドの演奏スタイルで、名バイ・プレイヤーとして、ジャズ・シーンを長い間支え続けていたヒギンズだが、数年前に、肝移植手術を行ってからは、体調がすぐれず、入退院を繰り返していた。ジョー・ロヴァーノ(ts)ら、ヒギンズと親交深かったミュージシャンが、ニッティング・ファクトリーに集まったトリビュート・ライヴの模様をリポートしたい。
この数年の、ベストとは言い難いコンディションの中で、ヒギンズは、数々のライヴやレコーディングで、素晴らしい演奏を聴かせてくれた。筆者が聴いた中でも、97年のリンカーン・センターに於ける、オーネット・コールマン(as)の、"?
Civilization"と銘打たれた、そのキャリアのすべてにスポットをあてたコンサート・シリーズで、ドン・チェリー(tp)を欠いたオリジナル・カルテットのメンバーとしての、イマジネーション溢れるプレイ、98年のチャールス・ロイド(ts)とのツアーでの、白熱のインタープレイ、99年の、ジャッキー・マックリーン(as)のリーダー作"ネイチャー・ボーイ"(東芝EMI)では、60年代のブルー・ノート・レーベルのハウス・トリオの僚友、シダー・ウォルトン(p)と、絶妙のサポートを聴かせてくれた。 ジョン・スコフィールド(g)の最新作"ワークス・フォー・ミー"(ユニバーサル・ミュージック)は、スコフィールドたっての希望で、ヒギンズの体調のよいタイミングを待ってレコーディングされた作品だ。60代になり、円熟の境地を聴かせてくれていた矢先の他界が、惜しまれる。
この日のトリビュート・ライヴは、会場がニッティング・ファクトリーということからか、アヴァンギャルド系の演奏が多かった。オープニングは、ニットを本拠地に活躍するドラマーで、詩人のウィリアム・ホッカーが、ピアノとのリズミックなデュオのあと、ヒギンズに捧げた即興の詩を吟じた。若手サックスの、デュオのあとは、ジョー・ロヴァーノ(ts)と、夫人のジュディ・シルヴァーノ(vo)を、フロントに据えたユニットで、オーネットの、"ロンリー・ウーマン”を演奏した。ストレート・アヘッドから、アヴァンギャルドまで、どちらもこなすロヴァーノだが、この日はフリーキーなトーンのソロで、夫人とのコラボレーションを聴かせてくれた。創造意欲のおもむくままに、様々な演奏スタイルを使い分けたヒギンズを、偲ばせるパフォーマンスだ。続いては、ケニー・ワーナー(p)と、ルーファス・リード(b)のデュオ。ヒギンズのためのスペースを、あえて残している、音数を抑えた"ブルー・イン・グリーン"は、鎮魂歌のようである。80年代から、ヒギンズに師事していた若手の、マット・ウィルソン(ds)が、ソロとグループの演奏を捧げた。ウィルソンも、その独特のバランス感覚で、幅広い演奏スタイルをこなす、ヒギンズの後継者の一人といえよう。この日の収益は、すべてヒギンズの遺族に贈られた。
4月22日にセイント・ピータース教会で行われた、ヒギンズの2度目の肝移植手術の資金集めのベネフィット・コンサートには、シダー・ウォルトン(p)、ロン・カーター(b)、バリー・ハリス(p)、ウィントン・マーサリス(tp)
らが参加し、9,000ドル以上の寄付金を集めた。こんなにも早く追悼コンサートになるとは、誰も思っていなかったが、この2回のコンサートに集まったミュージシャンの幅の広さは、ヒギンズの音楽性のふところの深さを示しているだろう。ヒギンズの死は、埋めがたい大きな空白を、ジャズ・シーンの中にあけてしまった。慎んで、ご冥福を祈りたい。
(5/17 於ニッティング・ファクトリー)
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