2005年 7月号 Jazz Life誌 New York Report

New York Jazz Witness


ノワールの語り部 ーーー 夜の闇をミステリアスに歌う
パトリシア・バーバーの青白き情熱の炎

 シックな空間を包み込む、しっとりとしたヴォーカル・サウンド。古き良き時代のキャバレー・ミュージックの伝統を、現代によみがえらせたミッド・タウンの高級クラブ ”Le Jazz Au Bar" に、ブルーノート・レコードから多くの意欲作をリリースしているシンガー・ソング・ライター/ピアニストのパトリシア・バーバーが、オリジナル・クァルテットを率いて出演した。クール、ゴージャス、ダークネスが絶妙のアンサンブルを奏でた、このギグをリポートしよう。

 パトリシア・バーバーの名を初めて耳にしたのは、99年にエンジニアのジム・アンダーソンからだった。アンダーソンは、バーバーがまだシカゴのローカル・シーンで活躍していた90年代初頭から、その録音を手がけて高く評価しており、98年にはアルバム「モダン・クール」が、ブルーノートよりリリースされ、ダウンビード誌で五つ星を獲得して、全米でもパトリシア・バーバーの名が知られ始めた頃のことだ。ジョーズ・パブでの、ベースとデュオのパフォーマンスに招待されて聴いたバーバーの、ディープなアルト・ヴォイスと、ユニークなオリジナル曲、大胆なスタンダード解釈、そして卓越したピアノ・プレイに魅せられて、アルバムはかならずチェックし、ニューヨークでライヴがあるたびに通い、その奥深い音楽に惹かれていった。今回は、昨年春のフランス・ツアーからのライヴ・アルバム ”Live A Fortnight in France" と同一メンバーによるツアーだ。”Le Jazz Au Bar" には、5/4から取材した最終日の5/15の間、出演し、第一週には、レギュラー・メンバーのニール・アルジャー(g)に替わって、ゲストとしてヴィボラフォンのジョー・ロックが演奏した。

 ルーズなブルースで幕は開け、バーバーの音楽を長年支え、グループのディレクター的存在のマイケル・アーノボルのベース・ソロで始まった。床にはオリエンタル・カーペット、赤いカーテンのバックドロップ、天井からはクリスタルのシャンデリアが、スポット・ライトとともにステージに明かりを落としている。バーバーは、音数は少ないながらシャープなタッチで、エッジのきいたソロをとった。軽いウォーミング・アップは終わり、最新作でもフィーチャーされている、フランス語で歌ったシャンソン・チューン「ダンソン・ラ・ジーク」。アコースティック・ギターに持ち替えたアルジャーは、繊細なバッキングで膜をはる。ダーク・ブルーの色彩を帯びたサウンドと、赤を基調としたインテリアのコーディネーションは、オーディエンスを別世界に連れ去っていく。ダークな曲が続きグループ紹介のあと、ディジー・ガレスビーのビバップ・チューンを演奏すると宣言する。「グルーヴィン・ハイ」は、ドラムンベース・アレンジ、20世紀末のロンドン・クラブ・シーンを思わせた。
 この日の舞台となった ”Le Jazz Au Bar" は、2004年の2月にディー・ディー・ブリッジウォーター(vo)をオープニング・ウィークに迎えて開店し、・ショウ(vo)、アンディ・ベイ(p,vo)、シャリー・ホーン(vo,p)ら大ベテランも出演してきた。バーバーも、ニューヨークの音楽業界関係者、ファンの中で、彼女らに比肩する高い評価を得ている。
 ステージでは、オリジナル・バラード、ラウンジ・ミュージック調のスタンダード「コール・ミー」、またしてもヒップなアレンジのエリントン・ナンバー「キャラヴァン」と多彩なソング・メニューが披露されていた。エレクトリック・ギターでのアルジャーは、ブルース、ロック&ジャズが絶妙にブレンドされたプレイを聴かせ、アーノボルもエレクトリック・ベースをも演奏する。エリック・モンツカは、繊細に、アグレッシヴに、ドラマーと言うよりはむしろパーカッション・プレイヤーのようなアプローチで、プッシュしていた。すべての核にあるのは、パトリシア・バーバーのヴォイスと、ピアノ。どのようなチューンも、そのカリスマ性を帯びた圧倒的な存在感で、バーバー色に染められていく。11日間に及んだ、ロング・パフォーマンスはいよいよ佳境に達した。締めくくりの内省的なオリジナル・チューン「ザ・ムーン」の静寂のあとの、鳴りやまぬ拍手に、2回ステージに再登場し、11日目のパフォーマンスのフィニッシュを決めたの、最後のパワーを振り絞ったアッパー系のディスコは・チューン「ホワイト・ワールド」である。パトリシア・バーバーの青白き情熱の炎は、高く燃え上がった。(5/15/2005 於 Le Jazz Au Bar, NYC)

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