2004年 04月号 Jazz Life誌 New York Report
New
York Jazz Witness Special
NY Jazz Decade
1990年代のニューヨーク・ジャズコネクションを再検証
ジョシュア・レッドマン、クリスチャン・マクブライド、ブラッド・メルドー、ブライアン・ブレイド・・・・・・この10年間に発表された名盤には、彼らのような新世代のながクレジットされることが増えてきた。ニューヨークを舞台に起こったムーヴメントにスポットを当ててみた。
1986年夏、北カリフォルニアのモントレイ・ジャズ・フェスティヴァルで、高校生のテナー・プレイヤーと出会った。カリフォルニア・ハイ・スクール・オール・スターズのフィーチャリング・ソリストとして登場した彼は、高校生離れした、端正なフレイジング、美しい音色で、アメリカのジャズ・シーンの層の厚さを、認識させてくれた。演奏後の彼に、当然ミュージシャンになるのだろうと問うと、9月からハーヴァード大に進学し、法律家を目指すという。その知的な目をした18歳は、ジョシュと名乗った。
同じ頃、遠くニューヨークでは、ウィントン&ブランフォードのマーサリス兄弟が、高らかにストレート・アヘッド・ジャズの復権を宣言し、ブルックリンでは、スティーブ・コールマン(as)、グレッグ・オズビー(as)、ジェリ・アレン(p)、カサンドラ・ウィルソン(vo)らがM-BASE理論を唱え、新しいジャズを模索し、87年にオープンするニッティング・ファクトリーを中心としたアンダーグラウンド・シーンでは、ジョン・ルーリー(as)率いるラウンジ・リザースが支持を集めていた。
6年が過ぎ、91年のモンク・コンペティション優勝の大型新人が、デビューした。ジョシュア・レッドマン(ts,ss)、北カリフォルニアの高校生は、音楽的にも大きく成長してニューヨーク・ジャズ・シーンに登場し、60年代半ば以降から70年代生まれの同世代ミュージシャンの中心となって90年代ジャズの一翼を担うこととなる。
90年代初頭のマンハッタンでは、アップタウンのオーギーズ、ダウンタウンのスモールズに多くの若手ミュージシャンが集まり、セッションに明け暮れていた。スモールズを拠点にしていたミュージシャンのリーダー格は、新世代のジム・ホール(g)の後継者と目されていたピーター・バーンスタイン(g)、その盟友ラリー・ゴールディングス(org,
p)とビル・スチュアート(ds)、ブライアン・ブレイド(ds)、ブラッド・メルドー(p)で、すでにファースト・コール・プレイヤーだった彼らは、ベテラン・ミュージシャンとの共演で培った経験を、スモールズに持ち寄り、研鑽を重ねていた。
サム・ヤエル(org, p)が、この店にオルガンを預けてから、毎週オルガン・トリオ・セッションも催かれるようになっていく。チック・コリア(p,kb)のグループに起用された、アヴィシャイ・コーエン(b)、ジェフ・バラード(ds)も、マーク・ターナー(ts)、カート・ローゼンウィンケル(g)、ジェイソン・リンドナー(p,arr)、クローディア・アクーニャ(vo)らと、行動をともにしている。ロイ・ハーグローヴ、デルフィーヨ・マーサリス(tb)らもセッションに参加していた。
一方、アップタウンの牙城、オーギースでは、ジェシー・ディヴィス(as)、大西順子(p)、エリック・アレキサンダー(ts)、90年のモンク・コンペティションに弱冠17歳で優勝したライアン・カイザー(tp)、ピーター・ザック(p)、ジョン・ウェバー(b)、ジョー・ファーンスワース(ds)らが集結していた。オーギースとスモールズで演奏するミュージシャンは、双方のクラブに出演しており、様々なコンビネーションでセッションを重ね、レギュラー・グループへと発展していく。
ロウアー・イーストサイドといわれるエリアでは、ニッティング・ファクトリーを拠点としていた、ラウンジ・リザース、スティーヴ・コールマン&ファイヴ・エレメンツ、ニットから独立してクラブ、トニックを立ち上げて拠点としていた、ジョン・ゾーン(as)らが活躍し、アンダーグラウンド・ミュージック・コミュニティを構築していた。ジョン・ゾーンのグループ、マサダからは、デイヴ・ダグラス(tp)が頭角をあらわし、ラウンジ・リザースからは、ギターのマーク・リボー、そして現在のNYアンダーグラウンド・シーンきっての才人、スティーヴン・バーンスタイン(tp)が、デイヴ・トロンゾ(g)との変則ユニット、スパニッシュ・フライで活動をしながら、96年にはロバート・アルトマン監督の30年代カンサス・シティー・ジャズ・シーンを描き、ジョシュア・レッドマン、クリスチャン・マクブライト(b)らが参加した映画「カンサス・シティー」のミュージカル・ディレクターを務めるなど、幅広い活躍をへて、90年代終わりには、パーマネント・グループ、セックス・モブに結実していく。独特のファンク・センスのデヴィッド・フュージンスキ(g)、オークランドのベイ・エリアからやってきたグルーヴの鬼才、チャーリー・ハンター(8strings
g)も、このカルチュアル・コミュニティに登場する。ロウアー・イーストサイド・シーンが90年代に生み出した、最大のスターはメデスキ、マーティン&ウッド(MM&W)であろう。ラウンジ・リザース出身のジョン・メデスキ(org,kb)を中心に、80年代後半のヒップ・ホップの洗礼を受けた世代のうみだした、ダンサブルなグルーヴと柔軟な音楽性は、ジャズとは無縁だった若いリスナーの支持をも得ている。時代の最先端のジャズに常に敏感な、ブルーノート・レコードはMM&Wと契約し、そのリーダー作をリリースをしながら、M-BASEの中心にいたグレッグ・オズビー(as)とも契約、その門下からジェイソン・モラン(p)、ステフォン・ハリス(vb)、マーク・シム(ts)らを輩出した。
ジャズ・アット・リンカーン・センターの音楽監督に就任し、ジャズ・オペラ「ブラッド・オン・ザ・フィールド」で。ピューリツアー賞を受賞したウィントン・マーサリス(tp)も、多くのプロジェクトに才能ある若手を登用し、ジャズ・シーンに送り出してきた。エリック・リード(p)、ジェイムス・カーター(ts,ss)、マーカス・プリンタップ(tp)、マイルス・グリフィス(vo)、ワイクリフ・ゴードン(tb)らは、トラディショナルなジャズに、新たな息吹をおくった。
デビュー以来、コンスタントにアルバムを発表し、精力的にツアーをこなしていたジョシュア・レッドマンは、自らのグループに、クリスチャン・マクブライト(b)、ブラッド・メルドー、ピーター・バーンスタイン、ブライアン・ブレイドを起用し、同世代の精鋭が結集した。その後、ブラッド・メルドーは、ラリー・グラナディア(b)、スペインで共演したホルヘ・ロッシ(ds)と結成した"The
Art of The Trio"で、スターダムを駆け上り、ソロ、エレクトリック・プロジェクト、映画音楽と、八面六臂の活躍をみせ、今春、原点に戻って久し振りのトリオ作をリリースする。クリスチャン・マクブライドは、ファースト・コール・ベーシストとして数々のグループで活動しつつ、自己のグループを結成。独自の70年代フュージョンへのオマージュを捧げている。ピーター・バーンスタインは、ニューヨーク・ジャズ・シーンを牽引し、それを代表するギタリストへと成長した。
2000年に入ってから、スモールズでは毎週水曜日、サム・ヤエル(org)が、ピーター・バーンスタイン(g)、ブライアン・ブレイド(ds)とレギュラーで出演していた。バーンスタインがロードに出ているときに、ブレイドの誘いで参加したのが、ジョシュア・レッドマンだ。ケミストリーは起きた。サム・ヤエルという触媒を得て、ジョシュア・レッドマンの音楽は、かつてないほどに自由奔放に拡張した。三者対等のユニットYaYa3(ヤ・ヤ・キューブド)をへて、ジョシュア・レッドマンが、ストレート・アヘッド・ジャズのプリンスという仮面を脱ぎ捨てるときが来た。ジョシュア主導のエラスティック・バンドがスタートし、その快進撃は、グラブ・シーンでも注目を集めている。
99年オーギースは、スモークと名前を変え、2003年スモールズは、ファット・キャットへと移転したが、今も毎晩熱い演奏が続いている。ニッティング・ファクトリー、トニックも健在だ。ブルックリンのアップ・オーヴァー・ジャズ・カフェの月曜日、ヴィンセント・ハーリング(as)のセッションには、次世代の有望な若手が登場している。
いつの時代も、ニューヨークには全米、世界中の才能が集まり、切磋琢磨を繰り返しているのだ。21世紀のジャズ・シーンを大きく塗り替える逸材は、もうすぐそこに現れているのかもしれない。
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