2002年 9月号 Jazz Life誌 New York Report

New York Jazz Witness

スウィング・ビッグバンドでダンス!
ニューヨークに定着したダンス・イヴェント

 スウィング・ビッグバンドをバックに、ダンスする。6、7年前からの、若い世代をも巻き込んだ本格的なブームが始まった。ミッド・タウンには、スウィング・ダンスをメインとした、ビッグバンドが、いつもブッキングされているクラブもでき、NYでは、今や遊びのスタイルのひとつとなった。ブーム定着に大きく貢献し、初心者でも気軽に参加できる、夏の代表的な野外ダンス・イベント、『ミッド・サマー・ナイト・スウィング』を紹介しよう。
 
 リンカーン・センターの噴水広場、ジョシー・ロバートソン・スクェアの特設ステージと、野外ダンス・ホールで行われる6月末、7月の期間限定スペシャル・イベントの、ミッド・サマー・ナイト・スウィングは、今年で14年目を迎えた。スウィング・ダンス・シーンの活性化と共に、規模は拡大し、日曜、月曜を除く毎日、多くのファンを集めて、盛況だ。伴奏を務めるバンドも、スウィングでは、ウィントン・マーサリス(tp)率いるリンカーン・センター・ジャズ・オーケストラや、ディック・ハイマン(p)・オーケストラ、クロージング・ナイトを飾るイリノイ・ジャケー(ts)は、その日に80歳の誕生日を迎える。ラテンでは、マンボを中心とした、マキート・オーケストラや、キューバン・ミュージック、ブラジリアン・サンバ、アフリカン、さらには70'sディスコ・ミュージック・ナイトには、ナイル・ロジャース(g,vo) & シックが登場する。スウィングだけでない、幅広いレパートリーが魅力の、イヴェントだ。
 夏時間と、緯度が高いため、このシーズンのNYは、午後8時まで明るい。仕事も終えた、6時すぎぐらいから、ダンサー達は集まり始める。バンドが登場するまで、その日のリズムに沿ったインストラクターが、ステージでステップの手ほどきをする。そしてCDの曲に合わせた実演と、初めての参加者にも分かりやすく説明している。
 日が暮れ始めるとバンドがステージに登場する。この日は、ヴィンス・ジョダーノ(vo,b,bs,tuba) & ナイト・ホークスによる、ローリング・トウェンティースといわれた1920年代の、ハーレムの代表的なスウィング・ダンス・スポット、“コットン・クラブ”を再現する企画である。

 ヴィンス・ジョダーノは、バンド・リーダーとしてだけでなく、20年代、30年代のオールド・ジャズのスコアを、30,000曲以上コレクションしており、そのオーソリティとしても、評価が高い。NYベースで製作された映画の、サウンド・トラックに参加することも多く、ウッディ・アレン監督の「ギタリストの恋」では、ベーシスト役で、俳優業もこなしている。この日は、通常の17人編成のビッグバンドとは異なり、ホーンの人数が少なくヴァイオリンや、バンジョーが入った10人編成のグループであった。20年代に、自らのグループのホーン・アレンジに、バプティスト教会のコール&レスポンスの熱狂を移植し、30年代にはベニー・グッドマン(cl)・オーケストラにアレンジを提供したことで名高い、フレッチャー・ヘンダーソンや、コットン・クラブからのラジオ中継で、全米をジャングル・サウンドで踊らせた、初期のデューク・エリントン・オーケストラの、オリジナル・スコアを演奏した。ジョダーノは、リード・ヴォーカルをとり、ベースだけでなく、ベース・サックス、チューバなどの低音楽器を持ち替え、軽快なビートを刻む。フロント陣の簡潔なソロが、スウィング感を生かしている。
 ダンス・ホールでは、レッスンで解説されたソシアル・ダンスに近いスタイルから、ハーレムからのご一行の、激しい振り付けのリンディ・ホップまで、それぞれに楽しんでいる。この様なスタイルの音楽やダンスが、最初にムーヴメントとなった1920年代は、ジャズ・エイジともいわれ、第一次世界大戦後のアメリカが、世界の大国の地位に登り、好景気でありながら、禁酒法の時代でもあった。スピーク・イージーといわれる闇酒場には、多くの人々が溢れ、享楽的なダンスを楽しんだ。90年代半ばから、リバイバルが始まったのも、空前の好景気に湧いたクリントン時代のアメリカの時代背景とも、関係があるのかもしれない。いずれにせよジャズが、ポピュラー・ミュージックとして大衆に熱狂的に支持されていた時代のサウンド・スタイルが、この様な形で復活し、若い世代のダンス・ファンにも定着していくことは、歓迎すべき文化現象である。(7/12/2002 於ジェシー・ロバートソン・スクェア)
 
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