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1999年  7月号 Jazz Life誌 New York Report

New York Jazz Witness

追悼・日野元彦
トコさんがニューヨークに残したもの

 今年の2月に、自らが膵臓ガンに冒されていることを公表し、病魔と闘いながら演奏を続けていた、日本を代表するドラマー日野元彦は、5月13日に亡くなった。日野は、1978年から1981年までの3年間、NYを拠点にセッション、ツアーなどの活動をしていた。 90年代に入ってからも、自己のリーダー作、実兄の日野皓正(tp)のレコーディング、コンサート・ツアーで、幾度かNYの地を踏んでいる。日野元彦が、若き日と、その円熟期に、NYに残した足跡をたどり、追悼の意を表したい。
 
 筆者が、日野元彦の暖かい人柄に触れる機会を、最初に持ったのは91年にレコーディングされた“セイリング・ストーン”(FHCF-2324)セッションにフォトグラファーとして参加したときである。
 日野皓正(tp)、スティーヴ・スワロウ(el-b)、デイヴ・リーブマン(ts,ss)、マイク・スターン(g)、カレン・マントラー(org)らを迎えて、ウッドストックのカーラ・ブレイ(p)とスティーヴ・スワロウの自宅スタジオで録音されたこのアルバムは、ローリング・ストーンズのカヴァーとオリジナル・チューンを中心に構成されている。 日野とスティーヴ・スワロウの、繊細で柔軟なビートと、カレン・マントラー(org)の浮遊するバッキングの上で、マイク・スターンがロック・スピリットあふれるソロをとり、日野皓正は歌心たっぷりのバラッド・プレイを聴かせてくれた。デイヴ・リーブマンは、20年近いつきあいの友人である日野のために、コルトレーンに似すぎてしまうために演奏しなくなっていたテナー・サックスの封印を解いた。  93年に続編として録音された“イッツ・ゼア”は、レッド・ツェペッリンを素材として取りあげ、前作のメンバーに、日野のNY時代のセッション仲間だったジョン・スコフィールド(g)が参加し、サウンドにアーシーなニュアンスが加味された。“The Rain Song”のマイク・スターンとジョン・スコフィールドのギター・バトルと、それを煽る日野のドラミングは圧巻である。ストレート・アヘッドからフュージョン、そしてストレート・アヘッドへの回帰という時代の変遷の中で、常に日本のシーンの中心を担ってきた日野の会心のプレイを聴くことが出来た。
 この年は、前作“セイリング・ストーン”がグラマヴィジョンより全米リリースされ、レコーディングの後、NYのニッティング・ファクトリーにおいて、アルバムのリズム陣にビル・エヴァンス(ts)、マーク・ミュラー(g)というメンバーによってCD発売記念ライヴを行った。
 この2作のレコーディング期間は、スタッフ全員が同じホテルで過ごしていたので、毎夜、日野と話す機会を持ち、日本から同行していた彼のローディがNYで修行したいという話をきっかけにして、日野がNY時代のエピソードを聴かせてくれた。
 70年代初頭から、日野皓正とともに短期でNYを訪れていた日野は、デイヴ・リーブマンにつれられて彼のアパートで開かれているプライヴェート・セッションに参加した。そこにはチック・コリア(p,kb)やデイヴ・ホランド(b)が演奏しており、上手いサックスがいると思ったらマイルス・グループ参加直前のスティーヴ・グロスマン(ts)であった。高いレベルで新しい音楽を創造するという活気にあふれていた当時のセッション・シーンや、78年から81年にかけてのNY時代でのセッション仲間であったジョン・スコフィールドや、ジョー・ロバーノ(ts)らとの交流、ソニー・ロリンズ(ts)のツアー・グループのオーディションに受かって北米ツアーに参加したときの感激と緊張の体験談など、才能ある1人の若手ミュージシャンの視点から見た、70年代のNYジャズ・シーンの雰囲気を偲ばせる。90年代にNYを訪れると、必ず、現在のNYジャズ・シーンで活躍する井上陽介(b)や奥平真吾(ds)ら愛弟子ともいえる後輩達を、激励している姿が印象深い。
 
 実兄 日野皓正は、世界でもっとも相性のいいドラムと、弟を評しているが、日野皓正のレコーディング、コンサート・プロジェクトでも、日野元彦は、その円熟期にNYの地を踏んでいる。
日本のあらゆる分野のカルチャーを、NYで紹介しているジャパン・ソサェティの企画コンサート“ジャズ・フロム・ジャパン”シリーズには2度、出演した。93年に日野皓正グループの一員として、マイケル・カーヴィン(ds)との白熱したドラム・バトルを聴かせ、その2年後、エイジアン・ジャズ・オールスターズとして、兄皓正とともに、NYで初舞台のアジア各地のミュージシャン達を牽引した。
 94年には、パナソニック・ヴィレッジ・ジャズ・フェスティヴァルに、強烈なパーカッション・ユニット、 日野皓正スパークス・バンドで参加し、甥の日野賢二(el-b)とともにグルーヴの中枢を担っている。
日野皓正のキャリアの中では全編フリー・ジャズという異色作“オフ・ザ・コースト”のレコーディングに、97年は参加し、マイケル・カーヴィン(ds)とのツイン・ドラム、アンドリュー・シリル(ds)を加えたトリプル・ドラム編成にチャレンジし、息の合ったプレイを聴かせてくれた。 日野皓正NYグループのドラムであるマイケル・カーヴィンとは、NY時代からの親友で、ブラザーと呼び合い、ツイン・ドラムで演奏すると、2人はまるで4本手足の1人のドラマーのようなものだと、日野は喜んでいた。

 昨年(98年)の夏、日野元彦は再びNYを訪れる。夫人を伴ったプライヴェート旅行であったが、これが最後のNY滞在になるとは、予想だにしなかった。テキサコ・ニューヨーク・ジャズ・フェスティヴァルのジョー・ヘンダーソン(ts)のステージを、見に来ていると聞いたのだが、取材中であったため行き違いになり、お目にかかれなかったのが悔やまれる。謹んでご冥福をお祈りいたします。