2000年 2月号 Jazz Life誌 New York Report
New
York Jazz Witness
アメリカのパワフルさと、ヨーロッパの繊細さの融合をはかり独自のサウンドを確立した、エンジニア、デイヴィッド・ベイカー
80年代以降、コマーシャル・ミュージックの現場はデジタル技術、シンセサイザー、コンピューターの発達によって、プライヴェート・スタジオでかなりのプリプロダクションが、可能になった。ライブ録音を基本とするジャズ・ミュージックでは、アコースティック・サウンドに一家言を持つ職人的なエンジニアが、第一線で活躍している。今回は60年代後半からNYのレコーディング・シーンを支えているデヴィット・ベイカーに話を聞いてみた。
シャーリー・ホーン(vo)のグラミー受賞アルバム"I remember Miles."(Verve)や、メデスキー、マーチン&ウッドの、グラマヴィジョン、ブルー・ノートでのアルバム、山下洋輔(p)のNYトリオ・シリーズ、メイシオ・パーカー(as)、大ベテラン、フィリップ・フィリップス
(ts)のヴァーヴからの新作などに名を連ねているベイカーは、祖父が、コロンビア・レコードのセールス・マン、父が、アトランタで、テレビ・ラジオ商店と、レコード・ショップ、FM、AMのラジオ・ステーションを、経営していて、音楽に囲まれた環境に育った。60年代半ばにPAクルーとしてアトランタの公民権運動のまっただ中で過ごしたデイヴィッド・ベイカー、アフロ・アメリカン・カルチャーへの理解を深め、本格的なサウンド・エンジニアを志して、NYへやってきた。そしてラリー・コリエル(g)らとの交流から、ジャズ・シーンに名前をきざみ始める。「あの当時は、よくウエスト・ヴィレッジのはずれにあったハーフ・ノートや、イースト・ヴィレッジの5スポット、昔のヴィレッジ・ゲイト、スラッグスによくハングアウトしていた。当時は$20もあれば一晩で3、4つのクラブを梯子出来たんだ。セロニアス・モンク(p)、ジョン・コルトレーン(ts,ss)、ウェス・モンゴメリー(g)、チャールス・ロイド(ts)とまだ19歳のキース・ジャレット(p)らの演奏に間近に触れて、本当にエキサイティングだった。デイヴ・ランバート(vo)の追悼コンサートで、デューク・エリントン(p)、チャールス・ミンガス(b)、マックス・ローチ(ds)
のマネー・ジャングル・トリオのライヴを聴いたのも印象深い。おそらくあのトリオは、あの時しかライヴをやってないはずだ。」
黄金時代のジャズ・ミュージックの洗礼を受けたベイカーは、新しい音楽を模索する同世代のミュージシャン達との共同作業を始める。ラリー・コリエル(g)とジョン・マクラフリン(g)の“スペース”もその中から、生み出された作品だ。「68年に、スタン・ゲッツ(ts)・グループのツアーから帰ってきたミロスロフ・ヴィトウス(b)はビリー・コブハム(ds)と、ジョー・ザヴィヌル(p)からなる新しいリズム・セクションのリハーサルを始めた。ウェイン・ショーター(ts)も参加する予定だったのだが遅れていたんだ。このリハーサルに私も立ち会い、2チャンネルで録音していた。その音源をミロスロフが、日本のCBSソニーに持ち込んで出来たのがアルバム”パープル”だ。そしてウエイン・ショーターが、やっと合流して結成されたのが、ウェザー・リポートで、コロンビア・レコードとすぐ契約した。私たちは、ピアノの蓋をはずして、ペダルを踏んだままの状態にサックスの音を反響させるとか、いろいろな実験を行っていたので、コロンビアのスタッフ・エンジニアが、録音の仕方が分からず、私が呼ばれていって指導したりしていたんだよ。」
現在も、レコーディング前のリハーサルには、必ず立ち会うベイカーだが、その理由を訊ねると「現在のテクノロジーの発達で、誰でもある程度のクオリティのものが、録音できるようになった。アルバムに参加するミュージシャン達が必ずしも全員が事前に顔を合わせなくても、レコーディングは出来るが、テクノロジーを越えたところにある人間的な要素を、アルバムに盛り込むために、私には必要なことなんだ。レコーディング・スタジオは、私にとって教会や寺院のように神聖な場所であり、そこに入るためには十分な準備をしなければならないのだよ。」このようなベイカーのスタンスに、信頼を寄せる若手アーティストに、メデスキー、マーチン&ウッドがいる。彼らのアルバムには、ベイカーがプロデューサーとしてもクレジットされており、このインタビューの日も、ビリー・マーチン(ds)が主宰するワールド・ミュージックのレーベルの、新作のマスタリングを終えたばかりであった。
ベイカーの創りだすサウンドの特徴として、クリアーなピアノ・サウンド、艶やかなヴォーカル、ホーン、繊細のシンバル・ワークに、重厚な低音部の、均整のとれたバランスの良さが挙げられるだろう。70年代にECMレーベルや、ヨーロッパの諸レーベルの仕事を経験したベイカーは、ルディ・ヴァン・ゲルダーらに代表されるパワフルなアメリカ的なジャズ・レコーディング・サウンドと、繊細なヨーロピアン・サウンドの融合をはかり、このオリジナル・サウンドを確立した。
ピアニストや、ヴォーカリスト達からの評価が高く、日本人アーティストでも、メジャー・デビュー直前の綾戸智絵が、井上智プロデュースで、ジュニア・マンス(p)らが参加した96年の自主制作盤"Only
You"に、起用している。「智絵は、本当に型破りなシンガーだ。2チャンネルのダイレクト録音だったが、私がいつも通りヴォーカル・ブースをセットして録ろうとすると、他のミュージシャンと、離れたところじゃ歌えないと言いだし、ピアノがあるスタジオの中で歌い始めたんだ。急遽セットを変更して、録音をしたんだけれども、これでライヴで躍動的なサウンドが得られたんだ。智絵のその後の活躍を聞いて、本当に嬉しく思うし、歌唱力もさることながら、あのショーマンシップは、今の日本のジャズ・シーンの中で、待ち望まれていたんじゃないのかな。」
2000年を迎えるジャズ・シーンの、展望を問いかけてみた。「私が、NYにやってきた頃と同様に、今も才能ある若い世代のミュージシャンが現れ、シーンは確実に活性化してきていると思う。ジャズ・ミュージックの未来は、まだまだ拓けているし明るいだろう。私もエンジニアとして、またはプロデューサーといった立場で、寄与していきたいと思っている。」アグレッシヴなスタンスをキープしているデヴィット・ベイカーは、さらなる精力的な活動で、美しいサウンドを創り続けるだろう。(12/23/99 於Sony
Recording Studio)
追記 デヴィッド・ベイカー氏は2004年7月に、出張先のNY州ロチェスターでお亡くなりました。享年58歳、これからも、たくさんのよい作品を残される途上での逝去が悔やまれます。謹んでご冥福をお祈りいたします。