2000年 3月号 Jazz Life誌 New York Report
New
York Jazz Witness
アート・ブレイキー直系の後継者、ラルフ・ピーターソンJr.
新ジャズ・クラブ、フェニックス・ルームでの完全復活ライヴ NYジャズ・シーンの中心は、時代によってハーレム、52nd
ストリート、グリニッジ・ヴィレッジと変遷してきた。50年代の終わりから現在にかけてはヴィレッジ・エリアに多くのジャズ・クラブは集中しているのだが、アッパー・ウエストサイドにも、ここ数年、本格的なジャズを聴かせる店が増え始めた。そんなクラブの一つ、フェニックス・ルームに毎週月曜に出演しているラルフ・ピーターソン(ds)・トリオを、今回はリポートしたい。
セントラル・パークの西側から、コロンビア大学のキャンパス・エリアに拡がるアッパー・ウエストサイド。10年ほど前には、NYフュージョンの中心だったミケルズや、バードランド(50年代に52nd
ストリートにあった店とは別、現在はミッドタウンに移転)、毎日ジャム・セッショッンがありジェシー・デイヴィス(as)、ビル・スチュアート(ds)、大西順子(p)らが演奏していたオーギーズ(98年まで営業)などがあり、盛り上がっていた。その後、移転、クローズが続きオーギーズの孤軍奮闘の感があったが、2年ほど前からクレオパトラス・ニードル(B'way
& 92nd St.)、昨年オーギーズがあった場所にオープンしたスモーク(B'way, bt 105 &106
St)、そして昨年の秋からフェニックス・ルームが、ジャズ・グループをブッキングし始め、かつての活況が戻ってきた。これらのクラブは、ヴィレッジの伝統あるクラブの毎週火曜から日曜まで、エスティブリッシュされたミュージシャンが出演するというスタイルとは異なり、日替わりで中堅から若手のミュージシャンに演奏の場を提供し、ノー・チャージもしくは$5〜$10ぐらいのチャージで、現在進行形のジャズを楽しむことが出来る。フェニックス・ルームでは、毎週のレギュラー・グループとして、リッチー・コール(as)のアルト・マッドネス・オーケストラ、ブライアン・リンチ(tp)のラテン・グループ、ボブ・ベルデン(sax)・グループ、そして今回カバーしたラルフ・ピーターソン・トリオが出演している。
月曜のラルフ・ピーターソン・トリオは、毎回ゲスト・ピアニストを招き、ピーターソンのドラムとのバトルを聴かせている。オーリン・エヴァンスや、ジョーイ・カラダッツオらが参加しているが、この日はゲイリー・トーマス(ts)や、ロビン・ユーバンクス(tb)のグループで活躍する、新進ピアニスト、ジョージ・コリガンと、ロイ・ハーグローヴ(tp)・クインテットのベース、ジェラルド・キャノンが、演奏した。
ラルフ・ピーターソンは、80年代後半に頭角を表し、ブルー・ノート、サムシングエルス・レーベルに、いくつかの意欲作を残した。アート・ブレイキー(ds)の直系の後継者と目され、マウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァルでは、ジャズ・メッセンジャースと共演し、大観衆を興奮の坩堝に巻き込んだ。90年代の半ば頃から、ピーターソンはNYのジャズ・シーンを離れ、ワシントンDCのジャズ教育プログラムで教鞭をとっていたが、数年前からNYにカムバックし、ベティ・カーター(vo)や、マイケル・ブレッカー(ts)のツアー・グループに参加しつつ、自己のグループ、フォテット、トライアンギュラーの活動を着実に再開させている。
ミディアム・テンポのブルースから、パフォーマンスは始まった。キャノンの心地よいウォーキング・ベースの上で、コリガンがバビッシュなソロをとる。ピーターソンは、スウィンギーにグルーヴを牽引し、まずまずのウォーミング・アップといったところだ。
続いて同じくミディアム・テンポで、スタンダード・チューンの「マイ・ロマンス」。繊細なブラシ・ワークで、コリガンのアドリブをサポートし、展開に従ってスティックにもちかえる。アート・ブレイキーばりのナイアガラの瀑布のようなロール・プレイが、繰り出される。そのままのパワーを持続して、ラテン・リズム・アレンジの「恋とは何でしょう」に突入した。コリガンの端正さと、ピーターソンの豪快さのコントラストを、キャノンが結びつけ絶妙のバランスに仕上げている。そのキャノンの、重厚なベース・ソロをフィーチャーした、ピーターソンのオリジナル・バラード「アイ・リメンバー・ブー」によってステージが静寂に包まれた。コリガンが「モーメント・ノーティス」のイントロを弾き、アップ・テンポのアドリブの後、激しい4小節ソロの応酬があり、ファースト・セットは終わった。カジュアルな中にも、ピーターソンの完全復活とプレイヤーとしての円熟を、印象づけたライヴである。
イギリスのインディペンデント・レーベル、シラスコからコンスタントなリーダー作のリリースも、順調に進み始めた。恩師アート・ブレイキーの没後10周年にあたる今年は、ワシントンDCのワーク・ショップで見いだした才能あふれる若手ミュージシャンとともに、ビッグ・プロジェクトに取り組みたいと、ピーターソンは抱負を語ってくれた。
(1/17/00 於 The Phoenix Room)
The Phoenix Roomは、残念ながら閉店してしまいました。